TOKYO55BAR誕生の様子から現在まで
新宿ライブハウスにて対バンしていたYOSHIOPCと元好色人種のVoD.O.Oがコラボでもしましょうかとのよくあるノリから結成・始動する。同じく、対バンで知り合ったサウンド・クリエイターsatoutosioに声をかけ3人で結成する。ここに『パーティ系なHiphopを目指す』という理念と『面白ければいいでしょ』という学生サークルのようなコンセプトで曲作りに入る。
六本木MorphTokyoにて初ライブをこなすが、EXILE系のイベントだったためにTOKYO55BARはめちゃくちゃ浮く。
ギタリスト伸太郎が前日リハ無しで飛び入り参加する
六本木のイベントにTOKYO55BARが参加することを前日に他会場のライブハウスで知った伸太郎が、翌日のライブに飛び入り参加する。
この時点でリハ無し、楽曲も前日に受け渡すという始末。ライブは非常に上手く行ったがYOSHIOPCがバク転に失敗し完治するまで2ヶ月の打撲を負う。
この頃のメイン楽曲
- TOKYO55BAR
- バカになりたい
- PPP
- No woman No cry
- うらら
それぞれのソロ名義での楽曲などをアレンジなどしつつ、演奏、ライブ活動を行ってる時期
satoutosio、第三の男 たつぼーが他界する
本活動の立ち上げメンバーであり、楽曲作成の礎だったsatoutosio(たつぼー)が他界し、TOKYO55BARはその活動の方向性と意義を見失う。
YOSHIOPCとD.O.Oで話し合い、継続を決定。ユニット名も初期の立ち上げ理念も残し続けると決める。
歌姫モニカ・厚地印房・女王Christinaが参戦する
この頃のTOKYO55BARは過去の悲しみを乗り越え、ある意味精力的に活動する時期だったと言える。それぞれが多くの才能を持っていたため楽曲制作も揉めつつも捗る。完全オリジナル名義の楽曲も数曲完成し、カヴァー曲をあまり歌わなくなる。レコーディングやらライブやらをこなしていく。メンバー多すぎてライブ出演がシフト制だった時期。活動の方向性を模索しつつも、各イベントに誘われながらライブ出演などを行う。
ニコニコ生放送に出演したりもしてる。YOUTUBEにUPされてる動画も主にこの頃の作品などが多数。
この頃の楽曲
- てんがでんがな
- こねこねこねくと
- PPP
- TOKYO55BAR
- No Woman No Cry
- バカになりたい
またこの頃はDJとしてI.K.Bをサポートに迎え、よりパフォーマンスがクリエイティブになっていた時期
様々な理由からアーティストユニットとしての活動限界を迎える
おめでたい事や、トラブルなど多くのことが重なって、活動限界を迎える。一度アーティストとしてのTOKYO55BARは解散となる。
その後、TOKYO55BARはレーベル化され、YOSHIOPCが代表となり現在に至る。また今後の展望としては、初期理念の下、面白いアーティスト活動やパフォーマーなどを是非バックアップしていきたいとの気持ちがある。また、多くのミュージシャンにガンガン絡んで行きたいという下心からコミュニティ活動にもシフトしていく予定。
YOSHIOPCソロの再始動とヨシモニオーケストラの発足
一連の流れからYOSHIOPCがまたソロで活動をしていく中で、モニカ・菊Pと3人でヨシモニオーケストラというユニットを結成。よりPartyに特化した飲み会コール系、パラパラなどの要素をぶち込んだトランスミュージックをひっさげて、都内数カ所で短期的にではあるが精力的な活動を展開。2015年の秋に活動休止&充電&幸せ人間活動に入る。ヨシモニオーケストラに関しては、男性からの支持を多数頂く結果に。
この頃の楽曲(全曲カバー)
- EZ DO DANCE
- スパイダーマン
- お手を拝借
- LOVE & JOY
- 英雄
2016年現在はソロだったりDJだったり様々な活動に
またソロ活動を行ってる最近のYOSHIOPCのライブには、ギタリスト伸太郎や狂気のベースストであるウッチーが参戦している。(不定期)
普段のパフォーマンスに比べて、よりロックテイストなバンド・サウンドがメインに。レギュラー出演中の千客万来はもちろんのこと、都内を中心に開催されているその他の素敵なイベントにも精力的に活動中。
最後に、2016年時点でTOKYO55BARは飲食店営業は行っておりません。
今後もどうぞよろしくお願い致します!